好きですねえ症候群 　文／中倉一志

　とある週末。いつものように朝早くから起き出して、デイバック片手に家を出る。バックの中には、お馴染みのストップウォッチ、双眼鏡、取材ノートの三種の神器。そして小遣いをはたいて買ったデジタルカメラが新しく仲間入りした。以前、「元ライターのフリーのカメラマン」という不思議な方と知り合ったが、最近は、彼の気持ちが理解できるような気もする。決定的な瞬間を捉えた写真は、自分が頭をひねって書いた文章よりもはるかに感動を呼ぶからだ。しかし、それも情けない。
　さて、家を出ようとすると、お隣も早起きの様子。目と目が合い挨拶を交わす。

「おはようございます。今日はどちらへ」とお隣さん
「いや、ちょっとスタジアムまでサッカーを観に」と答える私。
「いつも、いつも・・・・・。お好きなんですねえ」

　笑顔で言葉を交わしながらも、瞳の奥に呆れた様子が隠れているのを私は見逃さない。どうやら、お隣さんは私がスタジアム以外に出かけることがないと思っているらしい。失礼な話だ。確かに私はスタジアム以外に出かけることはほとんどない。何か予定を立てるときは真っ先にサッカーの試合日程をチェックする。しかし、福岡に住まいを移して既に５年目。湯布院、別府、雲仙、近場の温泉くらいなら・・・。いや、やっぱり行っていなかった。

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「サッカーが好きなんですね」。同じ言葉を飛行機の中でかけられたことがある。2002年６月１日。Ｗ杯のドイツvs.サウジアラビアの試合を観に行った時のことだ。経費節減のために私は福岡から仙台経由で札幌へ飛んだ。仙台空港で乗り継ぎの飛行機に乗って離陸を待っていると１人の男性が乗り込んできた。他の乗客よりも頭一つ高い立派な体格。ラフながらお洒落に決めた服装。めがねに髭を蓄えた口元。そう、あの湯浅健二さんだ。

「湯浅さん、こんにちは」と私。
「あれ？中倉さん、今日はどうしたの？」と湯浅さん。湯浅さんは私が福岡に住んでいることを知っている。
「ドイツvs.サウジアラビアの試合を観に札幌まで行くんです」。得意気に答える私。
「いやあ、中倉さんも相変わらず好きだねえ」。湯浅さんに言われるとは思ってもみなかった（笑）。

　しかし、その瞳の奥に「やっぱりね」という気持ちが隠れているのを私は見逃さなかった。サッカーを語らせたら止まらなくなる湯浅さん。そんな湯浅さんに「好きだねえ」と認められたのだから光栄の至り。スタジアム通いを続けてきた甲斐があったというものだ。でも、たまには温泉も・・・。いやいや、ここまで来たのだから、最後までスタジアム通いを貫くのが正しいサッカージャンキーの道というものだ。

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「好きですねえ」。いつもそう声をかけられているサッカージャンキーたちが全国各地にいる。「サッカー好きですねえ症候群」。彼らの主戦場はスタジアム。互いに顔をあわせると、試合前、そして試合後に様々な情報を交換する。

「明日、春日公園でU-15の福岡県大会があるよ」
「博多の森では天皇杯予選の決勝がある」

県内の日程なら、どんなカテゴリーの試合でもおおよそ分かってしまう。さらに話は進む。

「○○クラブの８番はとてつもなく上手いらしい」
「組織力なら、○○ＦＣだな」

何でそこまで知っているんだろうと首を傾げたくなるほど詳しい。サッカーの世界では読み手が書き手を超えたと言われているが、なるほど合点がいく。

　共通点はサッカーなら何でもいいという懐の広さ。幼稚園サッカーからＷ杯まで。もちろん、観戦するときの緊張感や興奮の度合いに違いはあるが、彼らにとってはどの試合も等しく面白い。観始めたらピッチから目を離さない。興が乗ってくると「右、右だっ！」「打てぇ〜」と声を上げ、好プレーには拍手を惜しまない。ハーフタイムには戦術分析と後半の展開を予想する。時には選手交代に頭を悩ますこともある。しかし、さすがに幼稚園サッカーの戦術分析だけはやらない。

　誰に誘われたわけでもなく、誰と約束したわけでもない。しかし、週末になると必ずスタジアムへ出かけていく。よくしたもので、サッカーはシーズンオフとは無縁のスポーツ。Ｊリーグが開催されていなくても、サッカーがやっていない土・日を探すことは不可能に近い。かくして彼らはスタジアム通いを続ける。そんな姿を見て「好きですねえ」と声をかける人は多い。その言葉には様々な意味合いが込められているのだが、彼らにとっては、これ以上のほめ言葉はない。

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「明日ね、博多の森の陸上競技場で大学サッカーリーグが・・・」。スタジアムで私の姿を見つけた顔なじみのサッカーファンが早速声をかけてくる。「好きですねえ症候群」にどっぷり使ったＡさんだ。締め切りに追われて徹夜続きの私は、さすがに明日は完全休養日と決めている。そして彼に向かって口を開いた。

「そうなんだ。で、何時から？」
「第１試合は11:00から。第1試合では福岡大学、第2試合は福教大が試合をしますよ」
「あのね、福岡大学といえば、システムは４−４−２で・・・」

「好きですねえ症候群」同士の会話は、いつ終わるともなく続いていく。